皆さんこんにちは!
今日はレッスンを毎日する中で気になった質問する力(質問力)について書いてみようと思います。
それは普段はあまり質問してこない生徒が「先生分かりません」と聞いてきた時のことです。
聞かれた以上は解説するのですが、私の中では「いったいどこが分からないのか?途中までは分かっているのか?それとも最初からどうしたら良いのか分からないのか?」と考えながら教えていました。
慣れないうちは仕方がないですが、質問力を養うのも将来的に役立つので、「質問する際の思考」を強化して欲しいと思っています。
成田市囲護台にある英語専門塾代表
頑張ること、頑張り切ることを伝えています。
先生、分かりません
こんな質問を受けることがたまにあります。
恥ずかしがって聞いてくれない生徒も多い中で質問できることは素晴らしいです!
ただ、塾では質問の仕方をもう少し磨いてもらいます。
例えば、プリントを解いてもらっている時に、分からない問題があったとします。
AさんとB君は同じ問題が分からないのですが、質問の仕方が違います。
Aさん:「先生、2番が分かりません。」
B君:「先生、2番なんですが、ここまでは分かったんですけど、なんでこういう答えになるのかが分かりません」
B君はどこまで理解しているのか、どこが納得できないのかを自分で把握したうえで質問に来ます。
対してAさんも「分からない」状態は同じですが、「どこが分からない」のか「何は分かっているのか?」の整理がついていません。
最初は仕方ないですが、徐々に質問力を付けてもらえるように誘導して、B君のような質問の仕方ができるようにしていきます。
そもそもなぜこんな質問の仕方をお願いしているのでしょうか?
質問は思考力の表れ
質問は学びでもあると思います。
私も英語で分からないことがあります。
そんな時は私の師匠に聞くのですが、的確な答えをもらうためにどう質問すれば良いのかを考えます。
自分が分かり切っていることを長々と説明されるのも退屈ですし、逆に分からない部分をサラッと流されれてしまってはモヤモヤが消えません。
だから、質問する時にには「自分がどこまで分かっていて、どこまで考えた」のかそして「どこが納得できないのか?」を相手に伝えることで、自分が分からない部分を詳細に説明してもらうことができるようになります。
例えばこんな感じです↓
この英文の意味が良く分からないので、まずは簡略化して構造を考えてみました。
しかし、文法的にはこれが主語でこれが述語になると思ったのですが、そうすると意味がちょっとおかしくなるんです。
逆に意味的に考えれば、こっちが主語でこっちが述語だけど、そうすると修飾関係が見えなくなるんです。
先生、私の考え方のどこに問題があるのでしょう?
私の師匠は別に質問の仕方が悪くても別に怒りもしませんし、必死に私がどこでつまづいているのかを知ろうと努力してくれます。
でも、自分が知りたいことを説明してもらうためには、自分がどう考えたのかを相手に伝えないと、相手も私の問題点が把握できずに、解決に繋がりません。
数学なら途中の計算式をたどって行けば、「あ~、この掛け算間違ってるんだ!」って分かりますが、英語はなかなかそうは行きません。
「だからどう考えたのか?」を伝える癖を身に付けて欲しいと思っています。
質問する訓練は将来役立つ!
「自分がどう考えて、その答えに結びついたのか?」
これを相手に伝えるには自分の思考を整理しなければなりません。
今まで習ったことを総動員して自分の言葉で伝えるので、知識の整理にもなります。
自分の言葉でつかえるレベルになっていれば、その知識は自分のものになった証拠です。
更に自分の知りたいことを相手から引き出す訓練にもなるので、将来社会人になった時にも役立つ力です。
例えば、顧客の本音を聞きたい時にどう質問すれば聞き出せるのか?とか、会議でどんな質問をすればよいのか?など質問して相手から情報を引き出すことは大切なスキルです。
質問しやすい雰囲気
質問の仕方をあまりとやかく言うと、質問しにくくなってしまうので、慣れるまではそんなに言いません。
「先生、わかりません」と言われても、「どこまでできた?」「どうやって考えた?」と質問して、こちらも生徒の思考を探ります。
生徒さんによっては気軽に質問できる人もいれば、できない人もいるので、質問しやすい雰囲気づくりは大切にしています。
質問したのに、「こんなのも分からないのか!」って言われたら、誰だって質問したくなくなりますからね。
講師側としては質問してくれたことに感謝しなければならない位です。
だってそれだけ知りたい!という気持ちになっている証拠ですから!
それに、悩んでいる様子ならこちらから積極的に声をかけていきます。
最終ゴールは自立
最終的なゴールは「自立」だと思っています。
小さな個人塾が「自立」とか言うと大げさかもしれませんが、教育の行きつく場所は自分で学べるようにすることだと思います。
高齢化や少子化・経済縮小、更にはパワハラとかカスハラが横行する社会。
2児の父親でもある自分もこんな社会に子どもを送り出すことに恐怖を感じます。
でも、それは避けて通れない道。引きこもりになられても困ります。
だったら、自分たちが死んだ後も一人で自立して生き抜けるように育ててあげるのが私たちの務めだと思っています。
塾でできる事は限られていますが、今日の質問力とか自学力を養って、自立した思考を持てるように誘導したいと思っています。
そのためには、やはり個別でひとりひとり接することが必要なんじゃないかと思います。
成田市囲護台・香取市佐原でレッスンを行っています。
ご興味がございましたら、お気軽にお問い合わせください。
今日は以上です!
最後までお読みいただきありがとうございました。